|
2023/07/09(日)
学び1
|
|
|
毎年1度、国立公園に行くと決めている。今年は、西海岸ワシントン州のオリンピック国立公園に出かけた。湖や森、雄大な太平洋にコロンビア川、そしてカナダのビクトリア島が見えるところまで足を延ばし、気持ちの洗濯をした。海の向こうに、カナダのビクトリアが見える、というところで、五右衛門風呂に入った。(笑)一人用の風呂で金属製だが、アルミなのかそうじゃないのかはようわからんかった。(笑)でも子供時代に入っていた鉄ではなかったのは確かである。あの時は、お風呂に入っても、桶の鉄には触れられなかったもんなあ。鉄桶の下で薪を燃やした。燃やすのが子供時代の仕事だった。細い、鉛筆のような木からはじめ、新聞紙をまるめて入れて点火、火が落ち着いたところで大きな薪を入れて燃やす。しばらくうちわであおぐ。。これが退屈だった。(笑)21世紀アメリカの五右衛門風呂も薪を燃やした。びっくりした。アルミ?風呂桶の横で薪を燃やすようになっていて、その熱風を風呂桶に送りこむという仕組みである。水がお風呂らしい温度に上がるまで3時間かかった。が、桶が熱くて触れない、ということにはならなかった。肩までゆっくりつかり、向こうはカナダか、と考えながら、ぼんやりと蒼い水平線をながめているのはどんなに気持ちがよかったことか。そして思った。ああ、人間が自然にひきこまれるのは、自分も自然の一部だということを実感しているだけかも、と。いつか必ず朽ちて、消えていく。自然のもとに戻るのである。林の中にもうけられた五右衛門風呂から、美しい夕日と海の色を眺めていると、ああ、このまま死んでもいいかも、それが自然な形なのでは、とも思った。人間はあまりにも醜く、汚い。でも自然には人間の醜さを超越した大きな懐がある。そこに戻るということは、ああ、なんと安心できることだろう。アメリカ人は嫌いだが、アメリカのすばらしさは国立公園にあるとつくづく思う。がんばって、全部回るぞ。。(笑)そのきれいな自然の中で、ごみを見つけると、ほんとにがっかりである。拾いたかったけど、ちょっと気色が悪かったのでやめたことが何度かあった。で、考えた、これから国立公園に出かけるときは、ごみ拾い道具の携帯用をもっていこうと。折り畳み式のごみ拾い器あるかなあ。あれは、もともと高齢者が動きにくくなって、物を拾ったりするときに使うものだそうな。携帯用があってもいいと思うけれど。探してみよう。もしなかったら、発明だあ。。新しいビジネスチャンスだあ。。。(笑)が、学び1.(笑)
|
|
|