〜ing〜アメリカつれづれ日記
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2024/01/27(土) 無事に
1月31日締め切りの原稿を、編集者に送った。題材は嫌いな人なのでーといっても、1899年から1909年までアメリカにいた人ーなかなか書けなかった。でも今回、怪我をしたおかげで、何か片手で集中してやれることが必要だった。怪我したおかげで、原稿が書けた、みたいな感じ。(笑)採用、掲載してもらえるだろうか。それはわからない。というのも、従来の研究成果をとことん否定するものだから(笑)この年になって、何を恐れることがある?在米の人間にしかできない仕事をきっちりするだけである。ははは。(笑)友達からメールが来て、その人も、人生最初の海外旅行で、エジプトに1日だけ行ったとか。人生最初の海外がエジプト?すごい。。人はいろんな人生を生きているなあ。改めて感激である。すごい、といえば、きのう、CNNで、すごい広告を見た。日本のほたての宣伝である。どう見ても、日本の政府機関が出してる広告である。中国が輸入停止しているから、アメリカに販路を広げようとしている、とピンときた。それにしても、日本、日本としか言わない広告(企業名などもちろんなし)は何か異様。昔はNYTに意見広告を出すぐらいだったのに。テレビで、日本のほたてを食べましょうと日本人男女がよびかける広告とは。時代が変わっていることを実感。私も変わる。明日、また年をとる。いややなああ。。(悲)

2024/01/25(木) 医者
へ行った。奇跡が起きている、とは言ってくれなかった。(悲笑)骨は毎日少しずつできるものと思っていたら、ぜんぜん新しい骨はなし、とのこと。なあんや、もう死んでるのと同じ? 年が年だけに、これまではだいたい6週間で石膏をはずしていたが、今度は12週間ぐらいかかるのだろうか。(悲)加えて、骨粗しょう症の一歩手前の状況だから、これからも骨折の機会は増えるとさらさらと言ってのけた。くそっ(怒笑)それでも、石膏なしで釣ってるだけだけど、きのうからピアノが弾けるようになったしーピアノ協奏曲じゃなくて、小学生のソナチネのレベル(笑)−左手で支えてやれば、ペンももって、字が書けるようになった。昔きいた父親の声が聞こえてくるーひにち薬やからなあ。。ただただじっと我慢の日々。。日本のテレビで聞いたいい言葉を書き残す。「自分にとって大事な人は、自然にそばに残っている」ーいつのまにか年賀状が来なくなった人の顔を思い浮かべる。そういうことであって、それ以上でも以下でもない。「五感は記憶」はい、その通り。(笑)五感をとぎすませることは充実した時間を過ごすために大事である。エジプトの記憶ー「月の砂漠の悲惨」ーむかしは、ラクダの隊商が通った道を、今はモーターバイクやら車やら、大きな芝刈り機みたいなのが100台以上疾走した。それも夜である。土煙がひどく、目だけを出してスカーフをかぶってたけど。。。昔と変わらなかっただろうはお月さまだけ。月の砂漠よ、はればれと???昔歌った歌を思いだしていた。岩山以外、何もない砂漠で見る月は確かに美しかった。

2024/01/21(日) ずっと
雪にとじこめられた生活である。車に乗って、どこかへ行けるわけじゃないから、朝夕の蒼い雪の美しい世界を心から楽しむことができて、まじに「怪我の功名」と考えてしまう。年をとると、美しいものをじっと見ている時間がほんとにかけがえのないもののように思えてくる。美しいものなんてなかなか見られないんだから。そうそう、エジプトのおみやげ屋の人たちー「見るだけはただ」と日本語で言った。一体誰が教えた、そんな日本語(笑)いろんなところを旅行したが、エジプトの人たちが一番日本語が上手だったような気がする。昔は、日本人客が相手だからと、日本語をしゃべる人はそんなにいなかった。それだけ世界が小さくなってるのだろう。カイロ空港が印象的だった。離発着する飛行機の行先のなかには、聞いたことのないヨーロッパの名前が並んでいた。ドバイやらブダペストといった都市名を聞くと、あらためてヨーロッパとアジアの境界線にいることを実感した。そういえば、紅海でスノーケルをするのにボートに乗った。にぎやかなグループがいて、どうもロシア人ぽかった。あんたら、ウクライナで人殺ししてるくせに、ここで何してるねん、とおもったが、よく聞くと、ハンガリーからだとか。イタリーからカイロまで2時間。みんな週末にぶらりとエジプトまで遊びに来るとか。広いようで狭いヨーロッパ。万が一、ドカスが再選されたら、こんなアホな国にいられないから、ヨーロッパにでも逃げ出そうか。なあんて、雪の中で夢想するだけが今の楽しみ。(笑)そういえば、ウィーンの空港のラウンジには、カップヌードルがおいてあった。さすが。。(笑)エジプトの料理はおいしかったけど、一番おいしかったのはホテルのアジアレストランにあった刺身のすずき。。要は料理せず、である。(笑)

2024/01/20(土) クリスチャンディオール
のバッグが出てきた。今から50年前、神戸にあった輸入雑貨屋で、確か9000円で買ったものである。理由はともかくも、母親にとりあげられて、ほとんど使わなかったものだ。母親が捨てたと思っていたら、なんと遺品整理で出てきた。今さらそんなものをもって、出かけるところもないから、娘に渡すことにした。娘は、Dを使ったロゴを見ても、ディオールの名前は出てこなかった。もう古いんだろうなあ、と時代の流れをつくづく感じた。それでも若い人はネットで調べることだけはするようで、すぐに電話がかかってきた。送るのに、1000ドルの保険をかけろ、と言う。はあ、なんで。。お母さん、知ってるの、今あれ、2600ドルで売ってるよ。はあ?それがいろいろ値段が下がって、800ドルはする。。はあああ? せっかくだから、近所のスーパーに行くにも使え、と言われた。はああああ?右腕吊ってるのに、ディオールもへちまもないよ、で電話を切った。(笑)50年前のディオール、若く、何も知らなかった時代ー懐かしく、もどりたいような変な気持ち。。あの店も震災の前にすでになくなっていたような。なあんで60代最後の年を迎えるのに、こういうことになったか。なあんか神様のメッセージがあるような。自分の身の上にふりかかることは、すべて素直に受け入れよ、かも。死への準備のような気がする。(悲)いやというほど死を考えたのがエジプトだった。だって、王の死後の準備のために、人は生まれ、生きて、働いた世界なんだから。

2024/01/18(木) また
知ってるおばあさんが亡くなったというニュースを聞いた。日本語を話せる人がいなくて寂しいだろうと思って、歌の本を持って出かけ、ピアノを弾いて、歌を歌ってくれた人だ。あの人から、花嫁人形という歌を習った。最後はもう何もわからなくなり、何も食べられなくなっていたとか。入れ歯を作ってあげてくださいと何度か申し入れたが、私じゃ施設側が聞いてくれるわけでなし、入れ歯がなくてたべられなくなったら、認知症はますます進んだろうし、、、仕方ないとはよくわかってるけど。。。(悲)コンピューターをいじっていたら、1864年に日本人がスフィンクスに立っている写真を見つけた。侍姿である。びっくりしただろうなあ、21世紀でもびっくりした(笑)エジプトには日本語ができる人がいっぱいいた。ホテルのロビーで、日本語で声をかけられていっくり、びっくり。遺跡でもエジプト人のガイドが、日本語で日本人観光客を案内していた。ピラミッドの所にいたラクダに客を乗せる商売のおっさんなんか、急に、さよなら、さよなら、と、小田和正?の歌を歌いだすからびっくり、びっくり。(笑)日本人のツアー客はどこでも見た。エジプトは日本人に人気があるし、日本とエジプトの関係は良好と見た。ナイル河には、日本の援助でできたのだろう発電装置みたいなのがあったし、カイロの子供病院には、日本が冠せられていた。それにしても、カイロの空港で、でかい、どうのこうのと言われた。でかい、と言われたのはひさひさしぶりである。見たら、痩せた前期高齢者ぐらいの日本の男。やっぱりねえ、変わらんねえ、この年代は。(怒)でかくて、すんませんねえ、と言い返したが、聞こえたかどうか知らん。(笑)娘は、言い返さずに、もっと強硬手段に出た。エジプト人のガイドである。何やら遺跡で、暗い部屋へ誘われたらしい。まだまだ男性優位の社会だから、うまくノーを言って逃げたらいいと、日本の男性優位社会に我慢してきた女は考えるが、単純なアメリカ人の女はそういうことはしない。ツアー会社に電話して、ガイドを変えてくれと要求したのである。いっしょに写真を撮ろうと身体を触られたそうで、そりゃもう大変大変。結局、新しいガイドさんが来てくれてよかった、よかったとなったが、なんとあとで聞いたところによると、その助べえガイドは警察送りとなり、旅行業界から追放されることになったとか。離婚して、次の女を探してる、みたいなことも娘に言ったようで、冗談ですませられるかどうか、その線引きがむずかしい。一つだけはっきりしていることーアメリカ人の女には気をつけろ。男性優位のアジア系文化社会の、性的冗談は絶対に通じない。

2024/01/16(火) だいぶ
気持ちが楽になってきた。1月31日締め切りの原稿のめどがたち、来月のプレゼンの準備にはいることができたからである。英語での発表は1ケ月かけて準備しなければ落ち着かない。ネィティブじゃない分、自由にごまかせないからである。あとは、確定申告の準備もはじめなければならないけど、これは原稿を東京に送ってからにしよう。忘れないうちに、エジプトのことも記録に残さねば。今、一番印象に残り、誇りに思っていることーピラミッドの景観のためにごみ拾いをしたこと。(笑)ピラミッドが3つ(だったかなあ笑)並んでみえる、ちょっと高台になった茶色の砂地の丘にあるレストランに行った。目の前はばああああと広がる砂漠?で、眼下には観光客の一群がらくだに乗って、とぼとぼ歩いているのが見える。きれいなあ、すごいなあ、と思ったけど、一番にきづいたのが白いおおきなごみである。周りが土色だから、よけいに白が目立ったのである。なんやねん、これ、で、拾いにいくことにした。てくてく砂地を歩いた。らくだに乗る必要なし。(笑)かなりおおきな包装材料だった。拾ったものの、どこに捨てたらいいかわからない。レストランの裏手に、ごみ箱らしいものを探してうろうろ。従業員の人が笑いながら引き取ってくれた。世界中から観光客が来ても、ごみ拾いをしたのは私だけ、と勝手に思い、誇りに思っている。(笑)スフィンクスも見たけれど、頭の中では、ラスベガスのルクソーホテルのスフィンクスばかり思いだしていた。本物を目の前にしてもったいないことだ。(怒悲笑)ピラミッドの中もはいって、のぼってみた。あれは危険である、エジプト政府に抗議の価値あり。(笑)入場制限せずに、大量の人間が細い、急な坂を上り下りするのである。一人足を滑らせば、ドミノが起きて大惨事になる。で、岩の中で何が見えるわけでなし。。。ピラミッドの感想ー疲れただけ。(笑)まあよくあんなものを作ったよね、としかいいようがない。人間の意志、執念とはすごいものだ。世界遺産の価値のある、ほんとに不思議な異世界だった、エジプトは。行ってほんとによかったと思う。あれを見たらねえ、日本の世界遺産ねえ、どこかの製糸工場ねえ、小さいねえ。。でもあの小ささ、枯れぐあいがいいんだよねえ。。(笑)

2024/01/10(水) やっと
片手生活にも、だいぶ慣れてきた。2日前、やっと専門医に会えて、またレントゲンをとられて(救急では何度もCTをとられた)とにかく、このままおとなしくしているしかないという結論。手術も今のままいけば必要なしとのこと。肩に近いせいか、石膏?で固めることすらしない。首から手をつっているだけである。なんやねん、これ。これまでの人生で一番ひどい骨折で、今までは足の甲の小さい骨を2回折り、手首が1度、これで4回目である。これまでのは、骨折の常道として、6−7週間ぐらいで直ってきたのに、今回のは3ケ月から6ケ月と言われて、それだけがショック。手首をやったときは、医者がびっくりするような直りを見せたので、今回も奇跡を願って、来月には運転できるようになることをめざす。(笑)何しか右の肘から下はどうってことないんだから、患部を固定すれば右腕はかなり動かせられるはずなのである。ところが、人間の身体は、元気なのに、腕をつるために肘をずっと直角にまげてるもんだから、右肘に力がなくなって、折れた骨ではなく、肘がリハビリを必要とするのである。なんやねん、これ。あああああ。でもそれほどの焦りが感じられないのも、年をとったせいか。それとも、エジプトのミイラにまだあてられているせいか。けっこう冷静である。(笑)日本からのニュースをみていると、被災地の人達の嘆き、なんで元旦に、という悔しさも、なんでエジプトから帰ってきた翌日に、という悔しさも、歴史的建造物だったろう大きな屋敷を線香で全焼させてしまった田中さんの嘆きも、みんな同じ―人間には制御出きない何かで、我々は生かされている。ツタンカーメンさんのミイラに尋ねたのである、これがあなたが望んだ死後の世界ですかと。世界中から来た観光客のさらしものになって、あなたの死後の世界の準備のために、いったいどれだけの人間が一生働き続けて、ウン千年かけてあれだけの彫刻を墓所に、石棺に彫り込み、王の死後の幸せのために自分の生を捧げたのに、セルフィ―とかなんとか、5000年前の世界に自分が来た証拠だけを残そうと必死になる現代人間たちのエゴの大きさと醜さまみれになってさ。幸せですか。でも、王たちの墓は見てよかったとつくづく思う。自分はたまらなくたまらなく、蟻のおしっこより小さい、それで幸せである。

2024/01/05(金) 新年
は、えらいことに。無事に1月2日エジプトから帰ってきたのに、1月3日の朝、ドライブウェーのブラックアイスに気づかず転倒。右腕を骨折。朝8時前で、あたりには誰もおらず、どうしようか、と考えながら、氷の上に横たわって、激痛に耐えていた。まったく動けなかった。15分も耐えていたのか、一台のサービスのバンが目の前を通った。見つけてもらえるだろうか、と思った瞬間、車が止まって人が下りてきた。助かったと思った。男の人に救急車をよびましょか、と言われ、その前に、配偶者を起こしてくださいと依頼。あとは無事に、救急車で病院へ。頭も首も打たなかったので、命には別条なし、ということで、車はあんまりサイレンを鳴らすこともなく、病院へ。モルヒネを2回打ってもらったけど、効き目なし。それにしても、骨折しているのはわかっているのに、救急では処置をしてもらえず、専門医へ行ってくれと。アポは5日後である。そのあいだ、痛み止めでしのげと。ひどい話だ。木片でも何でも早く固定してくれたら、何とか扱いやすくなると思うんだけど。。。肩に近いややこしいところらしい。あああああ、この年で骨折して、元に戻るのだろうか。エジプトで学んだことー新しい死生観である。右腕の骨折がなんぼのもんじゃい。5000年前のミイラに手を合わしてきたんだぞ。。何のために生きるかを考えると、骨折なんて屁の河童。。(笑)それにしても、片手でもこうやって文章が書けることが分かった。。正気を保つために書き続けよう。地震に飛行機事故の日本といい、さんざんの新年の始まりである。


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